私は、県立北須磨高等学校の草創期の思い出を、バス通学指導の一点に絞って記述する。
開校2年目、新校舎が完成し、間借りしていた太田中学校から、現在地に移転した。お陰で、1年間味わった不自由さや片身の狭い思いもなくなり、ほっとしたのも束の間、次は『交通戦争』が私たち教職員を待ち構えていた。
北須磨高等学校の草創期のことは、生徒のバス通学について触れずには語れない。
当時、1,2年生630名の大部分が通学に使える唯一の交通機関はバスであった。バスは鉄道と違って、一度に大量輸送がきかない。また、バスを利用する市民に迷惑をかけてはいけないという思いが、教職員の間に強かった。
そこで私たち教員は、毎朝、JRと山陽電鉄須磨駅前の国道2号線のバス停留所で、生徒の乗車指導をした。長いときには、生徒の列は数10メートルにも及ぶので、整然と並ばせ、秩序よく乗車させ、市民のひんしゅくを買わないように、気を遣ったものだ。
また、放課後には、北須磨団地のバス停留所まで出かけて、同じような指導をした。しかし、生徒の登下校時には、乗車を急ぐ市民にも並んでもらったので、あまりよい顔をされず、学校に苦情が持ち込まれたことが何回もあった。
また、生徒会役員や生徒指導担当の先生方は、学校で日曜、祝日等で行事を行う場合には、市バスの営業所へ何度も足を運び、バス増発の陳情をしたものだ。
開校3年目で全学年生徒が揃い、1070名を擁する学校に成長した。
当然教職員も増え、全員でこの問題に取り組んだ。
昭和52年3月30日に、板宿と名谷間に神戸市地下鉄が開通するまで、生徒のバス通学に伴う教員の奮闘は4年間続いた。
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